コラム【情報の入り方】

僕はひきこもりと
ニートを10年やっていました。

その間入ってくる情報は
好ましいか、そうでないかという、
ザルのような取捨選択で
採択されていました。

【嫌な事は、見ない】

この言葉は、想像よりも重い。

誰しも見たくないこと
聞きたくないことはあるだろう。

しかし、仕事や家庭の中で
立ち向かう【しかない】ものとして
任すなり、解決するなり
次に進むしかないと思う。

ひきこもりとニートは
そこに蓋をした人だ。

逃げないと、自分が保てない、
心や命が保てない人だ。

悪いなんてことはない。
誰しも、そんなことはある。

色々な人と触れ合う中で、
あらゆる情報が入ってくるようになった。

興味があること、
聞きたくないこと、
面白そうなこと、
つまらなそうなこと。

ほんとうに、
様々な情報が
あらゆる切り口と角度から入ってくる。

都内に行けば広告の量に驚かされる。
ただ電車に乗るだけで、
恐ろしいほどの情報が
強引に目に入れられる。

選択だ。色とりどりの
マーケターが作った戦略に則った
デザイナーが作った素敵な情報が
常に視界に入ってくる。

選択が出来ない人は、非常に辛い。

誰かの何かに、
友達の一言に、
親の気遣いに、
自分の想像に、

何かに常に引っ張られて生きている。

情報を選択できないということは
自分の心棒を人に預けることに等しい。

揺さぶられ、引き込まれ
楽しまされ、泣かされる

心を預けると、揺さぶられてしまうから
しまってしまう。

しまっておけば、
誰にも触られず、ようやく安心できる。

人と話せば、どうしても合わない部分
納得できない部分が出てくる。

そりゃ、自分じゃない相手と
話すのだから当然のことだ。

ひきこもりは、
人と会いたくなくて、
社会に出るのが怖くて、
外に出られなくてこもるのじゃなくて

自分を失いたくないから
ひきこもるんじゃないか。

最近、強くそう思う。

そして、伝えたいのは、
君はそこまで弱くないってことです。

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